ワークショップ
心地よい疲れ。心地よい達成感から。
決して軟らかくはない、材料を削る。
手に豆を作り、潰しながらもがんばって作られていました。
ワークショップをやると、初めて自分の手でものを作った時の喜びを思い出す。
ちょっとでも良いものを
ちょっとでもお金を積んで、ちょっとでも良いものを買いたいと思っていた頃があった。
確かそんな頃があった。
少しでも良いものを・・・
こうじゃなきゃ、進歩はない。
ものづくりもだけど、人間も。
自信
自信を持つこと。自信を持って言えることを持つこと。
失敗しても自信を持って修正すること。
迷うのはなるべくちょっとだけ。
kansya
treeマーケットに出店。今回、二回目の出店ですが、着々と大きなイベントになっているなあと感じた。
ただ人が増えているだけじゃなくて、主催者の気持ちが大きく広がっていると思った。
その主催者の気持ちと、僕の志向が重なれば、お互いが大きく伸びる。
やっぱり、僕は一人じゃない。沢山の人たちの沢山の力があってこそ。感謝感謝だ。
できる
どんな場にいても、自分にできることがあるということはありがたいことだ。
デザイン
個性をモノの表面にベタベタ貼り付けるのはあってもなくてもどっちでもいいと思うけど、
奥に隠れているモノの本質を探り、浮き上がらせるデザインは必要だと思う。
働きものな生活の道具
僕が作るものは、家具や木の器。
普段の生活で、当たり前に使うものです。
いずれもごく普通の生活の道具です。
僕は、とても働きものな生活の道具を作って行きたいと思う。
物自体に自己主張は必要ない、ましてや作り手の自己主張も必要ない。
ひたすら使い手のわがままを大きく受け止めてくれるような、たのもしいもの。
落書きされたり、彫られたり・・・傷だらけの学校の机のような、
工房の作業台のような、
使いやすく自分で作った、工場のパーツラックのような、
古い卓球台のような、
そういえば雑巾も・・・
そんな、普通のすごい働きものを作りたいと思う。
未完成品
基本、自分の作る物は未完成品です。
そもそも、どこが完成なんてわからない。
とりあえず、作り手が勝手に決めるところが完成というところ。
いやいや、僕は堂々と自信を持って、未完成品としてモノを世に送り出す。
使い手の方が使い込んで手入れして、長い年月積み重ねられた経年変化を身にまとい、揺るがない静かな存在感を持つものが完成品なのだろうと思う。
もしかしたら、その存在感という物は感じられない”無”のようなモノなのかもしれない。
ぼくのつくるモノは未完成品だから、使われていくことで価値が上がっていく。
今の消費社会の中では、ほとんどの物が、新品のとき一番価値が高くて、使っていくうちにどんどん価値が下がっていく。
そんな中で、僕は未完成品を作る。
作るのって面白い
木の器を作るには、ただひたすら彫りまくる作業が続く。
こんな単調な作業でも、なぜだかひたすらやっていると、すごく面白いって感じる。
”作る”っていうのはなんて面白いんだろう。
この気持ちをずっとずっともち続けたいと思う。
